作曲家
平尾貴四男ひらお きしお (1907-1953)
平尾貴四男は1907(明治40)年東京に生れ、1953(昭和28)年東京に歿した。現在、平尾の家系は綺羅星のごとくの音楽一族として有名であるが、平尾の父は戦前の二大化粧品メーカーと言われたレート化粧品本舗の経営者であった。平尾は慶應幼稚舎から普通部を経て慶應義塾大学医学部へ入学するが、独文科に転科して卒業した。傍ら弘田龍太郎、大沼哲らに和声学やソルフェージュなどを学ぶめぐまれた音楽的環境にあった。卒業後23歳から5年間フランスへ上記のとおり留学をする。
作曲への取組みが遅かった平尾の作品の真骨頂は、晩年7〜8年間に作られた室内楽の作品にあるといって良い。“春麗”ピアノ五重奏曲(1945)、ヴァイオリン・ソナタ(1947)、ピアノ・ソナタ(1948)、管楽五重奏(1950)、オーボエ・ソナタ(1951)などは、かけがえのない作品である。 思えば、「古代讃歌」は当時の管弦楽曲として極めて抑制された編成をとっているし、数ある管弦楽曲の編成は2管編成をうわまわることはない。
写真:平尾貴四男 (妙子夫人と)1951年頃 写真提供:日本近代音楽館
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取り上げた作曲家
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