松平頼則
作曲家
松平頼則まつだいら よりつね (1907-2001)
松平頼則は1907(明治40)年東京に生れて、2001(平成13)年東京に歿した。父は徳川家の流れをくむ子爵松平頼孝で、彼は優れた鳥類学者であった。慶應義塾大学仏文科在学中の1925(大正14)年に、薩摩治郎八が招いたピアニスト、アンリ・ジル=マルシェクスが近現代音楽を集めての連続演奏会6回全68曲を聴いて本格的に音楽の道を志した。ヴェルクマイスターや小松耕輔に師事するが、以後ほぼ独学であると松平は後に回顧している。
 1930(昭和5)年、清瀬保二、箕作秋吉、橋本國彦、菅原明朗、斎藤秀雄ら16名と「新興作曲家連盟」を結成して、同時にピアニストとしてデビューする。1946(昭和21)年には清瀬保二、早坂文雄、伊福部昭らと「新作曲派協会」を結成。この時期から、雅楽と12音技法を結びつけた独自の作風を追求していく。1952(昭和27)年「主題と変奏Tema e Varie」がISCM国際コンクールに初入賞して国際的なデビューを果たした。その後、作品は海外で評価されることが多く、西洋の最先端の動きに反応しつつ、日本文化を基本に据えた独創的な作曲スタイルを確立させた。1996(平成8)年文化功労者顕彰。
取り上げた作曲家