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作曲家
菅原明朗すがはら めいろう (1897-1988)
作曲家菅原明朗は、1897年(明治30年)明石市生まれ。京都第二中学時代からホルン・ソルフェージュを習い、上京して川端画学校に入学し、藤島武二に洋画を師事。かたわら、瀬戸口藤吉に作曲、対位法を師事しました。管弦楽曲の分野においては、日本で最初の管弦楽作曲家山田耕筰や大沼哲に次ぐ第二世代というべき作曲家でした。菅原は、ドイツ・ロマン派の影響を受けた山田耕筰に対して、フランス近代音楽を多く指揮、紹介しながら作曲活動を続け、一方で深井史郎、古関裕而、小倉朗、須賀田磯太郎、服部正など多くの作曲家を教えました。深井史郎によれば、歌曲の分野を中心としていた日本の作曲は、菅原明朗によって「もう一歩前進して器楽曲、オーケストラ曲の分野がきり拓かれた」のでした。
詳細は、片山杜秀氏の解説「隠者とモダニストとアルチザン」をご参照ください。
(写真提供) 日本近代音楽館
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取り上げた作曲家
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