作曲家
山田和男やまだ かずお (1912-1991)
山田和男は1912(大正元年)年東京に生れて、1991(平成3)年横浜に歿した。山田和男は、名前を夏精(かせい)、一雄と変えて指揮者として日本の演奏史に残る数々の業績を残した。当初はピアニストとして活動を開始するが、1930年前半から作曲家として各種の作曲コンクールに優勝または入賞を果たす。1960年代まで作曲を継続した。1941(昭和16)年には名指揮者ローゼンシュトックの代役として指揮デビューを果たす。その後、マーラー交響曲第8番、「春の祭典」など数々の日本初演を指揮した他、日本の管弦楽曲の初演も数多く手掛けた。また、京都市交響楽団、新星日本交響楽団(現・東京フィルハーモニー管弦楽団と合併)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、常任指揮者を歴任したほか、オーケストラ、指揮者の育成にも尽力した。
作曲作品については、「コクトー三題」(1935)、「もうじき春になるだろう」(1938)、「祖師谷より」(1945)、「宮澤賢治三題」(1955)などが優れた作品としてよく歌われ、また録音も残されている。近年では室内楽作品がCD化されている。オーケストラ作品は、管弦楽付歌曲をはじめ少なからぬ作品が残されているが実態の把握は進んでいない。 今後、研究すべき重要な作曲家のひとりである。
写真:山田和男 1938 写真提供:山田御秩子氏
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取り上げた作曲家
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