≪日本バレエ・舞踊史における1950年≫
〜日本の舞踊界の礎を築いた小牧正英、江口隆哉・宮操子へのオマージュ

 オーケストラ・ニッポニカ第36回は、日本のバレエ、及び創作舞踊の歴史が、ひとつの頂点を迎えた1950(昭和25)年に皆様をご案内致します。
 ロシアの興行師・ディアギレフが『バレエ・リュス』(ロシア・バレエ団)の前身である『セゾン・リュス』(ロシアの季節)をパリで旗揚げしたのは、1909年のことでした。そして、約20年間の活動の中から、ストラヴィンスキー「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」、ドビュッシー「遊戯」、ファリャ「三角帽子」、プーランク「牝鹿」など、約100年経った現在もコンサートの重要なレパートリーとなっているバレエ音楽の傑作が数多く生まれました。
 1934年11月、『バレエ・リュス』の後継を旨とする『上海バレエ・リュス』が当時中華民国の上海で創立されます。小牧正英は1940年に『上海バレエ・リュス』に入団して看板スターとなり、1944年「ペトルーシュカ」の東洋初演で主演を務めます。敗戦後、帰国した小牧は『バレエ・リュス』の伝統を極東の日本に引継ぐ演出家、ダンサーとして『小牧バレエ団』を結成、「白鳥の湖」を皮切りに、「火の鳥」、「シェラザード」などのバレエ作品を日本初演します。さらに1950年、小牧は「ペトルーシュカ」(指揮・朝比奈隆)を初演して、日本のバレエ隆盛の最初の頂点を築きました。
 一方、創作舞踊の世界では1950年、江口隆哉、宮操子によって、ギリシャ神話を題材とした現代舞踊作品「プロメテの火」が上演され爆発的な人気を博します。江口・宮夫妻は、ドイツ表現主義舞踊ノイエタンツ(Neue Tanz)創始者マリー・ヴィグマンに学び、日本の現代舞踊の地平を切り拓いた舞踊家です。
 作曲家・芥川也寸志は「交響管弦楽のための音楽」で一躍注目を浴びた1950年に、2つの舞踊音楽作品「失楽園」、「湖底の夢」を作曲しています。1951年「Kappa」、1953年「炎も星も」と次々に舞踊のための音楽を書きました。(しかし、現在これらの作品の楽譜の行方は不明です。)その後いったん舞踊音楽からは離れますが、1968年には父・芥川龍之介の原作による舞踊組曲「蜘蛛の糸」に取り組みます。芥川也寸志の作品史において「蜘蛛の糸」は、メシアンに形式的影響を受けた多楽章形式の交響曲「双子の星」(1957)と、チェロとオーケストラのための「コンチェルト・オスティナート」(1969)の橋渡しとなる重要な作品のひとつです。
 指揮者の鈴木秀美は日本を代表するチェロ奏者であり、近年では指揮活動にも精力的に取り組んでいます。ヨーロッパの中世からバロック音楽を経て古典派に至る音楽的語彙とグランドセオリーを踏まえた視点から、各時代の音楽作品に新たな姿と輝きを与える指揮者として、各方面から高い評価を得ています。小牧正英と江口隆哉・宮操子へのオマージュとして、鈴木秀美が指揮する近現代の舞踊音楽、バレエ音楽にご期待下さい。