![]() 伊藤昇いとう のぼる (1903-1993)
「第4回演奏会プログラム解説より転載」
片山杜秀(かたやまもりひで・評論家)
この作品は〈黄昏の単調〉と〈陰影〉から出来ている。2篇とも元はピアノのための小品で、前者は1927年の作曲、後者も同じ頃のものである。〈黄昏の単調〉の方は、太田忠や清瀬保二によって演奏・紹介され、また1929年には、菅原明朗の勧めによりマンドリン・オーケストラ用に編曲されて、その版の初演は同年5月、菅原の指揮で行われた。そのあと1930年5月に、伊藤はこの〈黄昏の単調〉と〈陰影〉を一括してオーケストレーションし、管弦楽のための《二つの抒情曲》とした。ただし編成は共通ではなく、〈黄昏の単調〉は木管が2本ずつにホルンとピアノと弦と打楽器という室内管弦楽規模なのに、〈陰影〉は3管大編成にハープ2台とピアノを要求している。伊藤はこれをパリでの演奏の機会のために編曲したと述べているが、実際、そちらでやられたかは定かではない。その版の日本での初演は、1936年6月12日、日本青年館で、新交響楽団(現NHK交響楽団)によって行われている。この日は「日本現代音楽祭」と題され、伊藤のほかに、飯田信夫、大木正夫、荻原利次、江文也、斎藤秀雄、深井史郎、箕作秋吉、山本直忠の作品が演奏された。指揮は、作曲家のアレクサンドル・チェレプニンと連れ立って、上海から船で横浜に降り立ったドイツ人指揮者のヘルベルトが行う筈だったが、日本の水が合わなかったか急病になり、飯田と大木と斎藤と深井と山本の5人が慌てて分担して代役を務めた。《二つの抒情曲》をこのうち誰が振ったのか、確たる資料が見出だせないけれど、多分、斎藤か山本のどっちかだろう。
〈黄昏の単調〉は、三木露風が黄昏どきの時間の止まったような気怠さをうたった印象派風の同名詩に基づく自由な音のスケッチ。音詩とでも呼ばれるべき種類の音楽だ。テンポはトレ・ラン(極めてゆっくりと)。清瀬保二はこのピアノ版を4分かけて演奏したと、記録にある。
曲は、低音のきいた神秘的かつ都節音階的な序奏ではじまる。リズムにも都節に相応しい近世邦楽の情緒がそこはかとなくまぶしてある。そのあと木管とヴァイオリンが、5音音階風ではあるが日本のそれには必ずしもはまらない、なかなか国籍不明な主題を提示する。しかも、この主題はそのあと明瞭には蘇ってこず、切り刻まれ、断片化し、俗楽や雅楽の響き、あるいはワルツのリズムに乗せられ、ふらふらし、ついにはぼんやりと霞んでゆく。複調的な和声、小節ごとに変わる極端な変拍子、点描的な楽器法、沈黙というか間合いの多用が、この音楽を特徴づけている。露風の詩は、家畜の鳴き声が聞こえるというから、田園の黄昏をうたっているのに相違あるまいが、伊藤の曲は、モダン日本の大都市近郊のどこかさびしい街角を、旦那や芸者や学生がたまに行き来する黄昏どきといった、感じもする。
〈陰影〉は〈黄昏の単調〉と同じく、やはり特定の詩に触発された音楽。こちらの詩人は北原白秋で、その内容は、カフェの女給か誰かの孤独な心象を、時計の針やダンスや無声映画やその伴奏のピアノ音楽などを点綴しながら描いたものだ。まさに大都会の詩であり、モダニストが作曲の素材とするのにいかにも相応しい。
曲は、架空の無声映画のための伴奏音楽のようなおもむき。しかもその映画はカットやシーンの転換がめまぐるしい。8分の12拍子のようなリズムの刻みで開始されるが、1拍ずつ楽器を交互に変えるという凝った細工になっていて、そこからいかにも慌ただしく落ち着かず、あとは都節音階やヨナ抜き音階に乗る端唄・小唄の類いの旋律の断片が、半音階的に装飾されつつ、音量、音色、リズムの絶え間ない変動、楽器間のせわしいやりとりの中に浮き沈みして、和服姿で丸髷を結ったカフェの女給が踊って笑って叫んで喧嘩して泣いて片袖を絞ってといった具合になる。音楽は先にゆくほど薄くなって、点描化し、最後はファゴットとピアノと打楽器しか残らない。
この、どちらも極めて不安定な2篇の音楽は、モダニズム云々の中でも、ムンクの『叫び』やシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》に象徴されるような表現主義的傾向と関連づけられるだろう。特に〈陰影〉は、シェーンベルクが大正末期の銀座・新橋界隈に出たといった、ちょっと他に類例のない響きを有している。音楽史的奇作といえよう。
それから、このセットが露風と白秋を対にして編まれていることも注意されてよい。露風と白秋は、伊藤の作曲と理論の師匠、山田耕筰がとりわけ愛した詩人であり、また山田は、日本にヨーロッパの表現主義芸術を1910年代のうちにいち早く紹介した人でもあった。つまり伊藤はこの《二つの抒情曲》で、師の山田をかなり意識し、それなりのオマージュを贈ったと想像されるのである。
なお、伊藤はこの曲の自筆総譜で、名前の「のぼる」の横文字表記を、novolという妙な綴り方にしているが、イタリア語で新しいを意味する形容詞のnuovoとその俗語的な綴り方のnovo、あるいは伊藤が得意としていたフランス語で同じく新しいを指すnouveauやnouvelleをふまえてのことだろう。それは新しがりのモダニストの署名に相応しいものだ。
【楽器編成】フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、コントラ・ファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、小太鼓、ドラ、ピアノ、チェレスタ、ハープ2、弦5部
【初演】1936年6月12日、日本青年館にて新交響楽団(現NHK交響楽団)による。
【楽譜出典】自筆スコア・パート譜(日本近代音楽館所蔵)
「第8回演奏会プログラム解説より転載」
片山杜秀(かたやまもりひで・評論家)
【楽器編成】
【初演】
【楽譜出典】
「第8回演奏会プログラム解説より転載」
片山杜秀(かたやまもりひで・評論家)
【楽器編成】
【初演】
【楽譜出典】
|
作曲家
|