![]() 菅原明朗すがはら めいろう (1897-1988)
「第4回演奏会プログラム解説より転載」
片山杜秀(かたやまもりひで・評論家)
特に委嘱を受けたわけでもなく、演奏の具体的なあてもなく、作曲家の50代半ばの円熟期、1952年の秋から53年の春にかけて作曲され、53年の6月に、当時、菅原と親しい関係にあった上田仁指揮東京交響楽団によって、新日本放送(現在の毎日放送)のラジオ番組内で初演された。日本語題名が交響曲でなく、より古風な交響楽というところには、菅原の世代と教養から来るこだわりがあるのだろう。
この作品は極めて特異なアイデアを有している。それは、古典派とかロマン派とか近代とか現代とか、特定の時代様式に全面的に身を預ける音楽ではない。菅原はここで音楽史全体を思索する。何でも知り尽くし、しかもそれらをじっくり時間をかけて消化しないと気の済まない大正の教養主義者らしく、音楽史のすべてを展望し、自在にこなして一作品に入れ込み、なおかつ最終的に自分の最も好むところを示そうとする。そういう作りになっている。
そのへんをもっと具体的にしよう。西洋音楽史には、グレゴリオ聖歌と共にドリアとかフリギアとかイオニアとかリディアとかの種々の全音階(*ダイアトニック、即ち1オクターヴの中に5つの全音と2つの半音を持つ7音音階で、教会旋法とも呼ばれる)に立脚する音楽が確立し、ついでそれをルネサンスのポリフォニー音楽がぐっと半音階(*クロマティック、即ち1オクターヴの中に12の半音を持つ音階)的な動きへ寄せてゆき、その反動でバロックへんから、全音階が優位を回復し、しかもその中で、イオニア音階とエオリア音階が他の音階をおしのけ、前者が長調の音階、後者が短調の音階として知られるようになり、しかしロマン派の後期からまた半音階への志向が強まって、近現代の音楽に至るといった経過が認められる。つまりは全音階と半音階の綱引きだ。この菅原の交響楽では、その引き合いの様がそのまま音楽になっている。全音階と半音階の対比や相互侵蝕が、曲を推進する力学になる。おまけに、そこに、菅原の日本人としての民族性を刻印すべく、日本の5音音階の要素も加わってくる。そうした諸々の音階を葛藤させつつ音楽史的大河ドラマを構築し、最後にどこに行くかというのが、この作品の眼目で、結論を先取りすれば、フランスから転じてイタリアに恋い焦がれたキリスト教徒、菅原の行き着く先は、やはりグレゴリオ聖歌調の教会旋法の世界なのである。
第1楽章はホ調のアレグロ・アッサイ。自由なソナタ形式。冒頭からいきなり、第1主題が決然と示される。それは、ホ・ハ・イ・へという、順に、全音2つ分、全音ひとつと半音ひとつ分、全音ひとつ分と、段々幅が詰まってくる下降音型に導かれる。その動きはこの交響楽全体の基音がホで、主たる音階がホからオクターヴ下のホへと、ピアノでいえば白鍵だけで下降してゆくフリギア音階なのだとも仄めかす。よってホの次には完全5度下のイが重要な働きをするだろう。とにかくその第1主題は、チマローザかハイドンを思わす、古典派や前古典派の明快さに貫かれているのだが、そのことは、編成によっても示される。この交響楽は3管に16型の弦というとてつもない大編成を要求しているのに、冒頭は4・3・2・2・1の弦楽5部にオーボエとホルンだけで始まるのだ。この特殊な創意ひとつからだけでも、この音楽が歴史を思索し展望しようとする作品なのだと分かるだろう。そして、明快で長調的で古典派/前古典派風な、この第1主題は、始まってすぐ、12小節目でオーボエの対旋律が絡み出すところから、どんどん半音階的に崩れ、ここに、この交響楽の全音階対半音階のドラマがもう始まる。続いて第1ヴァイオリンの示す第2主題は、イを第1音とするヒポミクソリディア音階を土台にして短調風にうたい、それに、管楽器が同音反復や半音階的な上下行をやる、音の遊びといった推移部が連なる。それから以上の提示部が反復されるが、それは元のままの単純なリピートではなく、変奏や拡大を伴っての反復である。続く展開部では、全音階と半音階の様々な角逐の景が繰り広げられる。まず第2主題が入念に扱われたあと、第1主題が盛り上げられ、その勢いのまま再現部に突入する。そこでは、第1主題が、全金管楽器と指定では16型の全弦楽器を総動員し、提示部の小さな身振りとうってかわって、強力に燦然と鳴り響く。提示部では古典派以前だった管弦楽が、ここでは後期ロマン派に変ずるのだ。そして第2主題の再現まで済むと、たとえばベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章から第4楽章への接続部をより大袈裟にしたようなつなぎがあって、ラルゴ・モルト・ソステヌートのコーダへゆく。そこでは、まずヴァイオリンとヴィオラがユニゾンで、ホ・ニ・ハ・イ・ト・ホと、第1主題の冒頭を意識した、しかし今度はこの交響楽の基音のホまで1オクターヴしっかり下がる音型を奏で、あとは第1主題を断片的に回想して、ホルンによるホ音上の3度和音で静かに結ぶ。
第2楽章はイ調のアレグレット・アニマート。ソナタ形式を意識した3部分形式。第1部分の冒頭では、ロからイに下がる音型ではじまる、恰幅のいい主題が、弦楽のユニゾンで示される。それはイを第1音とするイオニア音階、ないしイ長調とみなせよう。とにかくまるで全音階的である。対して第2主題は、極めて半音階的で、フルートに提示される。またしても全音階対半音階だ。それら2つの主題が交互に扱われ、対比を利かせたあと、第2部分に入る。そこはゆったりしたコラールだ。コラール主題は、前段では金管、後段では弦楽が主に担う。しかもその主題は、第1部分の第1主題の面影を宿している。そしてその主題の緩慢な動きを、第1部分の第2主題と関連のあるせわしい半音階的な動きが装飾し刺繍してゆく。つまり、第1部分では交互に出た全音階と半音階が、第2部分では同時に垂直的に重ねられるのだ。この中間部は、ヒンデミットの《画家マチス》などを、少し想起させるかもしれない。第3部分は第1部分を再現し、それから、クラリネットとクラローネと2部に分割されたヴィオラが、ロイ・ハリスやウィリアム・シューマンを思わす、半音階的にゆらぐ全音階的旋律といったものを奏でる、アンダンテ・レチタティーヴォのつなぎがあって、次の楽章にアタッカで続く。
第3楽章はイ調のラルゴ・カンタービレ。主題と3つの変奏曲とコーダという具合。いきなり始まる主題は、イを第1音とする雅楽の呂音階ないしヨナ抜き長音階(イ・ロ・嬰ハ・ホ・嬰ヘ)、つまりは日本趣味の5音音階に乗る、懐かしく優しげでのどかな大正時代風の旋律である。菅原の作曲した慶應義塾のカレッジ・ソング《丘の上》にも通じる世界だ。これが高さを変えてもう一度繰り返されると、続いて、イを第1音とするエオリア音階ないしはイ短調を一応の土台としつつ、長調と短調のあいだを融通無礙に動く全音階的な旋律が、木管と弦楽主体で奏でられる。それは副次的な素材となって、以下の変奏で5音音階の主題に絡みつき、それを7音音階的に膨らませるような機能を果たす。それから変奏に入る。第1変奏は、雅楽を思わせる打楽器の刻みの上で木管群が主題をやり、次第に高潮してオーボエの高らかな歌で頂点を築く。第2変奏も打楽器のリズムに導かれ、第1変奏と似るが、弦の担う主題にかぶるトランペットのまるで雅楽の対旋律のせいで、雅楽味がぐっと増す。第3変奏は、ハープを伴ってヴァイオリンから始まる。3連符のリズムを生かした古風で伸びやかな舞曲風だ。コーダは主題を短く回想し、イとホを含む和音で軽く締める。この楽章は、大正時代に音楽的教養を築いた菅原の、日本と西洋、5音音階と7音音階の出会いについての、自伝的回想だろう。
第4楽章はホ調のアレグロ・ヴィヴァーチェ。ティンパニのホ音の一撃のあと、ヴァイオリンのホ・ニ・ハ・ロ・イと下がっていく動きにはじまり、生き生きと疾走する第1主題が示される。それはホを第1音とするフリギア音階を土台としている。これを受ける第2主題は、フルートの独奏の示す半音階的修辞に満ちたスケルツァンドな楽案である。つまりこの2つの主題の対比によって、全音階対半音階という、この交響楽を支配する根幹のアイデアが最終的に確認されるのだ。あとはこの2つの主題が、ABABAB……と、交互に執拗に繰り返される。その繰り返しは、変奏や展開を伴ったり、ほぼ原型のままであったりし、ソナタ形式や変奏曲形式やロンド形式の雰囲気も醸し出す。とにかく、このアレグロは、ヒンデミットやマリピエロやカゼッラの新古典的な様式による最良の仕事、たとえばヒンデミットなら《フィルハーモニー協奏曲》とかに匹敵する、音の愉悦に満ちた「楽師の音楽」である。ショスタコーヴィチに耳の慣れている人には、その交響曲第6番や第9番の一部が想起されてくるかもしれない。しかし、この楽章は、そんな勢いあるアレグロのままで押し切らない。曲はやがてリタルダンドし、緩やかなコーダへと向かう。そこでは、グレゴリオ聖歌風の全音階的なコラールが、半音階的な装飾も交えて奏でられ、最後より4小節目から2小節目にかけては、オーボエとチェロの独奏が、イからホへ持ち上がる音型を奏でる。そう、第1楽章も第4楽章でも、ホからイに下がる動きではじまったが、ここではイからホに戻り、この曲の基音が念押しされるのだ。そして木管、ピアノ、ハープ、低弦で、ホ音上のピアニッシモに終止し、全曲を結ぶ。音楽史の遍歴を終えた菅原は、20世紀の新古典的アレグロからきびすをかえして、鬱蒼たる中世の彼方、グレゴリオ聖歌的な静謐なる祈り世界へ、いかにも真面目なキリスト教徒らしく去ってゆき、そこを終の栖にしようというわけである。
【楽器編成】フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット3(1人はコントラ・ファゴット持替え)、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、中太鼓、小太鼓、トライアングル、ドラ、ピアノ、ハープ2、弦5部
【初演】1953年6月上田仁指揮の東京交響楽団(新日本放送=現毎日放送による放送初演)。今回が舞台初演と考えられる。
【楽譜出典】菅原作品「交響楽」:自筆スコア(国立音楽大学図書館所蔵)、パート譜(オーケストラ・ニッポニカ作成)
「第4回演奏会プログラム解説より転載」
片山杜秀(かたやまもりひで・評論家)
交響楽ホ調の結びに於いて、教会旋法による祈り歌の世界に静かに身を潜めていった菅原の音楽が、その後どうなったかという、見本のような小品である。1981年4月5日、芥川也寸志指揮新交響楽団が東京文化会館で行った菅原の管弦楽作品個展のために作曲され、菅原自身の棒で初演された。
曲はまず、コール・アングレの独奏による主題の予告ではじまり、そこにオーボエとファゴットが絡んで、ついで弦の和音が出、バスがイに定まり、その上にホが乗る。そう、この音楽はイが基音で、完全5度上のホがその介添えだ。つまり交響楽ホ調とは一番手と二番手の音程が入れ替わる。ついで木管がはっきりと主題を奏でる。それはイを第1音とするエオリア音階とみなせる、グレゴリオ聖歌風の、みやびやかに天上をうねる旋律である。あとはこの主題が自由に変奏されてゆく。それは清冽一本槍というわけでもなく、途中にはごく短めの不安げな展開によって、『黙示録』の破局の幻想、「怒りの日」の情景も垣間見させつつ、最後は神の国の到来の喜びに至り、ホとイの和音を高らかに鳴り響かせて結ぶ。この音楽はカトリック信仰の全く直截な表白である。これこそ晩年期の菅原の辿り着いた心境であった。
【楽器編成】フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、コントラ・ファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、シンバル、シンバル付太鼓、大太鼓、中太鼓、小太鼓、ピアノ、チェレスタ、ハープ、弦5部
【初演】1981年4月5日、東京文化会館にて作曲家自身指揮の新交響楽団による。
【楽譜出典】自筆スコア・パート譜(アマチュア・オーケストラ新交響楽団所蔵)
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作曲家
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