共同の仕事

「自分が共感せずにはいられない」ことば(詩)を「音楽と出会わせたい」という強い衝動をもつ作曲家である間宮は、たびたび木島の詩に作曲しました。オペラ『ニホンザル・スキトオリメ』も、間宮の要請に応じて木島始自身が自作の童話をオペラ台本に書き下ろしました。初演後、長い時を経てなお、間宮も木島もこのオペラにたびたび言及しており、作曲家にとっても詩人にとっても特に重要な作品であることがうかがわれます。

■足の裏の音楽—オペラとオーケストラ—

間宮芳生

オペラ「ニホンザル・スキトオリメ」

「世界のいろいろな地域の民族音楽の音のソースが集まった中に、ボルネオの音楽を集めた一枚のレコード”A Visit to Borneo”というのがあって、私が特に好きなもののひとつ である。その中でも、竹製の楽器(マリンバのようにバチで打つ。バリ島ではこれと同類の楽器をブンブンというらしい)を子供たちが一心不乱にたたいているのが一番好きだ。二拍子のまったく単純な音形を飽かず繰り返しているだけのものだが、いかにも生き生きと楽しそうで、いつまで聞いていても飽きることがない。それはまさしく音楽であるのだが、今日音楽につきものの、技術の習熟というやっかいものをまったく通らずに、おそらく知ることもなく、いきなり音楽そのものを体でつかまえてしまっている。」

ここに引用したのは、一九六五年に作曲した「オーケストラのための2つのタブロー・’65」が演奏された一九六六年三月のNHK交響楽団の定期演奏会のパンフレットに、この作品に寄せて私が書いた文の一部だが、そのころ私は「足の裏で考える音楽」という考えにとりつかれていた。

「弦楽四重奏曲第一番」を完成させたのが一九六三年の夏で、それからあとの約一年半を私はずっとオペラの作曲に費した。詩人木島始による大人の童話『ニホンザル・スキトオリメ』を、作者自身に、プロローグ、エピローグ付きの一幕九場からなるオペラ用台本にしてもらって作った約八十分のオペラである。

物語の舞台はサルの世界で、サルであってサルでない人間がこの世にあらわれて、犬族が人間になつき、その力を借りるようになって、サルと犬との宿命的な戦争の形勢がすっかり変ってしまい、ニホンザルの一族は滅亡に向って急坂をころげ落ちてゆく。彼らには聡明で美しいサルの女王がいる。王国とみずからの美しさを永遠のものにしたい女王と、おろかな民衆ザルたちがいる。そしてその女王と民衆、つまり権力のさがとそれに操られるサルたちの真相を描きつくそうとする「スキトオリメ」という名の絵描きザルの物語である。それはいわば「人間の真相」の比喩であり、木島始によれば、スターリニズムのカリカチュアでもある。しまいに政治犯として捕らえられ幽閉されたスキトオリメは、牢屋であるクスの木のほら穴の壁に、彼が見たサルたちと女王と、サルの滅亡の真相を爪できざみつけていた。

このオペラでは、歌を支え、さらにドラマの展開、場の情況をあらわすオーケストラの役割と働きは、きわめて重要で、そのために通常の三管編成のオーケストラの他に、オルガン、バッグ・パイプ、そしてリュート、ブロック・フレーテを中心とした古楽器のアンサンブルが用いられた。

古楽器のアンサンブルが必要に思われたのは、この物語が中世の十字軍の闘い、あるいはヨーロッパの宗教戦争のようなイメージを抱かせるからだ。以前に、あるFM放送の実験放送のために「音楽文化史」というシリーズ番組の構成と出演を毎週一回一年間ほどやったことがあって、そのときヨーロッパ中世ルネッサンス期のポリフォニー音楽や、古い世俗舞曲などを聞きあさったのが、このオペラでとても役に立った。

このオペラは放送で二度、そして舞台では一九六六年の春にたった一度上演されただけで、大きなオーケストラの他に古楽アンサンブル、パイプ・オルガンなどが必要なため、それっきり上演ができないでいる。
(中略)

オーケストラ作品を創る
オペラ「ニホンザル・スキトオリメ」のオーケストラ・パートを書いてゆく作業は実に楽しかった。ドラマの情況、主人公たちの感情や行動様式を映し出すオーケストラの音楽的な身振りや響きを見つける作業の面白さは、他に代え難い楽しさだし、オーケストラという表現媒体と、表現すべき内容との折り合いについても、思い迷う必要は全く感じていなかった。

(後略)

〔間宮芳生著『現代音楽の冒険』(岩波新書, 1990年)所収〕

 

■作曲家からの要請

木島始

ときどき作曲家は、思いもかけない標題をわたしにつきつけてくる。
もう十年以上前一九六五年に、みずから<大人の童話>と呼んでいる「ニホンザル・スキトオリメ」を、間宮芳生がオペラにしたいので、放送台本として書きなおしてほしいと言った。
わたしは、予想もしないことだったので、作曲家の意図を汲むのにいくらか時間がかかったと記憶している。
このオペラは、NHKで放送され、その後一回きりだが上演された。七八年の夏に、この上演をテレビで見た埴谷雄高氏が十年以上たつのになお覚えておられて、こんなオペラが日本にも生まれたかと思ってびっくりしたと、原作者で脚色者であるわたしに感想を伝えられ、時間の経過のなかを生きのびる記憶のふしぎさを、あらためてわたしに感じさせたものだった。
女王ザルとふたつの流派を代表するエカキザルの物語であるこの童話では、童話であるかぎり歌われることばに対する心配は、わたしになかった。
ここで童話であるかぎりとわたしのいう意味は、不必要なコケオドカシの漢語使用は、滑稽感をにじみだすいがいには、おこなわないという限定のことである。
問題は、ドラマの展開である。「読み進むうちに、人物の、また人物同志の関係の、より具体的で豊富なイメージが、ぼくの中で次々にふくらんでくるような、そんな題材」(間宮芳生)と読みとられたことへの、わたしなりの対応いかんであったろう。

七七年に、林光から、詩画集として出した『日本共和国初代大統領への手紙』(創樹社)を、「声とオーケストラのため」の上演をしたいと話しかけられたとき、わたしは思わず電話口でう――んとうなったまま、声が出なかったのを覚えている。(中略)
わたしは、上演によるコミュニケーションと、書物によるそれとを、はっきり区別して考えている人間なので、この申し出に対しては、「上演用台本」として、じぶんの作品を書きなおすということで、作曲家の期待にこたえることにした。
あらためて強調するまでもないほど単純明快なことだが、上演芸術においては、印刷物でのように読みかえしがきかない。(中略)
現代の作曲家は、ことばづかいに特別の配慮をしないでいい、とわたしたち詩をかく人間にいう。しかし、わたしは、歌われることを前提にしているので、作詞家に英語でいえばリリシストに徹しようとした。(中略)不必要な漢語の使用を、あくまで避けた。
作曲家林光の構想は、もたつきがちなわたしの作詞過程をも指揮してくれたといえようか。子どもの絵本の仕事で、漢字渡来前後の日本語を考えあわせるという、ちょっと途方もないわたしの空想的な自己訓練のくりかえしが、ふしぎなめぐりあわせですこしは役だったかもしれないが、……。

〔木島始著『日本語のなかの日本』(晶文社, 1980年)所収〕

■間宮芳生———オペラ制作の仕事を通して

木島始

わたしは、じぶんと同じ仕事をしている詩人や小説家と話すより、作曲家や画家とのほうが楽しいことが多い。思うに、それは共同の仕事にとりくんで、違った立場から意見をとりかわすので、予想もしないような発見をすることがあるからだろう。
二つか三つ一緒に歌をつくった後で、間宮芳生にわたしの童話「ニホンザル・スキトオリメ」をオペラにしたいという構想を聞かされたとき、わたしは、まるで予想外の着眼なのにまず驚かされた。わたしの作品はじぶんで《大人の童話》と呼んでいたものなのだが、専ら視覚の世界、画家のありかた、独裁者と芸術家と民衆の関係などを扱っており、他のものにはとにかく、オペラとは考えてもみなかった。わたしは、それから間宮芳生の粘り強い制作態度を充分に知らされることになったが、かれの読みの深さは、原作者のわたし以上であったと言えるかもしれない。
そう、かれの粘り強さは、何に喩えたらいいであろうか。ただ粘り強いだけではない。ダイナミックな弾力が、ゆきわたっていて、一つのことを固守しているだけの頑張りではない。こちらの新しい言い分を真向から受けとめて、また練り直すことを辞さない。
突飛な人物をもちだすようだが、数年前に活躍した名横綱の若の花〔初代若乃花(1928-2010)、青森県出身〕が、無類に腰が強くて、思い切った投げを打つ場面に驚嘆したことが何度もあったが、わたしは、人物とか技とかではなくて、あの粘り強くて弾力性のある腰が、なんだか間宮芳生の構想力のどこかに似ているのではないか、と思えてしかたがない。気合いもまた、あげられるかもしれない。そして、若の花が幼い時に北国で船を漕ぎに漕いで、足腰ができあがったということを読んだことがあったが、つい先日たまたま新しいオペラのことで話し合っていたら、間宮芳生は、幼い時に海辺で聞いた漁師の歌のことを、まるでじぶんを造ってくれた最も貴重な糧でもあるかのように語ってくれた。いやむしろ、その話を聞いていたものだから、北国の海辺の幼少年時代というイメージから、わたしが勝手至極な力士の二枚腰への連想作用を起こしてしまったのかもしれない。しかしまあ、わたしとしては当たらずといえども遠からずだと思っており、それに、共同の仕事を通じて得たわたしなりの抜きがたい印象というものもある。これは打ち消し難いものであって、十年の隣人よりも一つの共同の仕事の方が互に知りあうところが多いというのが、わたしの考えなのである。
いたるところで潜在して生きている日本語の叫び、存在そのものの歌は、間宮芳生のような構想力を媒介にしないと、その奥行きと力強さと複雑さを、豊かに、単純に、表現されることはありえないと思う。

〔木島始著『群鳥の木』(創樹社, 1989年)所収〕